夢に見た白河の関

歴史こぼれ話

 2022年、夏の甲子園大会で仙台育英高校が優勝して、優勝旗が初めて白河の関を超えて東北にもたらされたと話題になった。今なら東北新幹線でビールでも飲んでいるうちに通り過ぎてしまうが、平安時代ではとんでもなく遠い所だったようである。そういえば、私の兄も昭和30年頃に仙台の知り合いを訪ねるために、鈍行列車で出掛けたが、あまりのキツさに途中で帰ってきたことがあった。私も、その昔YS11で伊丹から仙台への便に乗務していたが、本当に時間がかかったものだ。上昇性能の悪いYS11は、冬型の気圧配置になると日本海側を飛行中に、雪雲の上に出られず翼への着氷で高度が維持できなくなり伊丹へリターンした便もあった。

能因法師の図

 さて、司馬遼太郎氏の著書「歴史のなかの邂逅1」のなかに まぼろしの古都、平泉に面白い文章があったので紹介したいと思う。

 「平安朝のころ、能因法師という歌人があって、若いころに官につとめ、のち頭を剃って専門の歌読みになり、摂津古曽部という村に住んだ。かねて奥州への漂泊の旅にあこがれていたが、旅に出るほどの勇気(そのころは旅そのものが危険だった)もなく、ただわが杖ひく姿を夢想しているうちに、この夢想が一首の歌をかれに詠ませた。

     都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関

 口ずさんでみるとわれながら名唱のようにおもわれ、世間にこの歌の現実感を感じさせるために行きもせぬ白河の関にいったということにし、毎日そとをうろうろしては顔を陽に焼き,その上で都の歌仲間のあいだに吹聴してまわった。やがてはうそが露顕したが、私は中学のころどういうものかこの能因がすきで、かれが侘び住まいしたという大阪府高槻市郊外の古曽部の村まで行ってみたりした」

 なかなか面白い話で、この能因法師なにか憎めないところがある。

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