97式戦闘機 Nate(連合軍コードネーム)

飛行機のはなし

 1977年に滋賀県の琵琶湖で初めて開催された「鳥人間コンテスト」は2024年までに46回開催されている。2017年には社会人チームの機体が20kmの地点で折り返し40kmの飛行に成功した。出来の良い機体を体力的に良くトレーニングされたパイロットが操縦すれば、このような記録が出るようだ。人の馬力は継続的に0.2から0.3馬力で、瞬間的には1~2馬力ほど出せると言われている。(Wikipedia)

 この機体に、軽く小さな1~2馬力のエンジンを搭載して飛行したと仮定すれば1Lの燃料でどれほどの距離を飛ぶことが出来るのだろうか。1リットルの燃料があれば自動車の場合トヨタのハイブリッド車なら35km程、二輪車ならホンダのスーパーカブで60km以上、私の所有する二馬力のエンジンを搭載した小さなボートなら10km近くは進むようだ。鉄道の場合はその様なデータは持ち合わせていないが、地上や水上を移動する乗物と比較すると抵抗は少ないように思える。このような、いい加減なデータを比較して何が言いたいのかと言うと、飛行機と言う乗物が燃料効率的に見るとかなり優れていると言う事である。渡り鳥が休むことなく飛び続け海を越えることが出来るのは翼のおかげであろう。

 さて大平洋戦争の始まる前、日本はすでに中国と交戦状態にあった。昭和12年に中島飛行機の制作した97式戦闘機が陸軍に制式採用された。昭和15年が紀元2600年ということで、その3年前(紀元2597年)に採用された戦闘機ということで97式と名付けられた。ゼロ戦は昭和15年(紀元2600年)に制式採用されている。

 この97式戦闘機は1トン強の軽い機体に650馬力のエンジンを搭載、翼面荷重や馬力荷重などは、これ以上改良の余地はないとまで言われた。空中戦では無類の格闘性能(ドッグファイト)を示しパイロット達からは絶大な信頼を得ていた。ソ連軍と直接闘ったノモンハン事件では、ソ連軍の戦闘機は97戦に全く歯が立たなかった。

 その後、格闘戦から一撃離脱へと闘い方が変わっていくと、97戦の優位性は失われていった。しかし、パイロット達は一度味をしめた格闘性能にこだわり、陸軍航空本部も次期戦闘機である一式戦闘機(隼)に速度と運動性能と言う相反する性能を求め設計者を悩ませた。

太刀洗平和祈念館に展示されている 97式戦闘機

 太刀洗平和祈念館に展示されている97式戦闘機は、特攻命令を受け満州から知覧へ向かう途中博多湾に不時着した機体である。特攻に使用された97式戦闘機は重い250kgの爆弾を搭載していたため、離陸時にエンジンを過酷に使用して故障する機体が多かったと言う。

平和な時代の97式スポーツ機

 この97式戦闘機が物騒な機銃を取り外し完璧な整備を施せば、現在でも十分に通用するスポーツ機になると思う。私は何故かこの飛行機が好きでF15イーグルよりも、ホンダジェットよりも乗ってみたいと夢見ている。

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