私は今でも一番格好の良いジェット旅客機はボーイング707だと思っている。ボーイング707の試作機であるボーイング368-80(ダッシュ・エイティ)は1954年7月15日に初飛行を行なった。そして3週間後の1955年8月7日に一般の人々の見守る中、鮮烈なデビューを飾ることになるのである。
この頃アメリカでは、ハイドロプレーンと呼ばれる航空機用エンジンを積んだ超高速のボートのレースが人気を博していた。この日は、ゴールドカップレースの4戦目がシアトル郊外のワシントン湖で開催されることになり、近隣からは数万人の観客が湖岸で観戦していた。中には大きなヨットをチャーターして船上から観戦する人もいた。この中にボーイング社のチャーターした船も在った。またこの日は、ワシントン湖のほとりでIATA(国際航空運送協会)の会合も開かれ各航空会社のトップが集まっていた。会合の後、ボーイングの社長W・アレンはレースを観戦するために彼らを船に招待した。その中にはノースアメリカン社のD・キンダルバーガー社長、ライアン社のT・ライアン社長、そして最大の商売敵ダグラス社の広報担当重役R・ロックリン氏など航空界の重鎮が顔を揃えていた。第一レースが終了した頃、湖の南東から400フィート(120m)の低高度を高速で大型機が進入してきた。観客の上空を高速で飛行するよう打ち合わせていた社長のアレンは、「おお、あれはわが社のダッシュ・エイティじゃないか」と、思い切り臭い芝居じみたセリフを口にする。
その頃,コックピットでは、安全に確信を持っていたテストパイロットのアルビン・ジョンストンが機首を少し上げながら左旋回でダッシュ・エイティを見事なバレルロールに入れていった。翼に吊り下げた4基のジェットエンジンが完全に空に向いているのを見た、ボーイングの社長とダグラスの重役以外の観客は大喝采を送った。パイロットのジョンストンがバレルロールをすることを知らなかった社長のアレンは招待客でもある友人に、「心臓発作の錠剤をわけてくれ」と言ったとか。また、ダグラスの関係者は、苦虫を噛みつぶしたような不愉快な顔をしていたそうである。DC8の実機はまだ影も形も無かった。
同僚の機長である元F15のパイロットに聞くと、上手な人がバレルロールをするとコップの水がそのままで動かないそうだ。 さて、翌週に社長のアレンに呼ばれ「何をしたかったんだ」と聞かれたジョンストンは「飛行機を売りたかったんです」と答えたそうだ。彼はテストパイロットを首にはならなかった。
この1年後に、ダッシュ・エイティはボーイング707として、パンアメリカンの路線に就航する。 やっぱり、カッコいいですね。
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