ボーイングのベストセラー B737

飛行機のはなし

 1967年の初飛行以来10,000機以上が製造,販売されボーイング社のベストセラーとなったのがB737型機だ。B737型機で最初の頃に製造されたのがB737-200と呼ばれた機体で、私はこの飛行機に5年間で約3,000時間乗務した。機種移行のグランドスクールとシミュレーターは国内で、実機訓練は同期とペアでユナイテッド航空のサンフランシスコで受けた。会社は、近郊のモーテルを用意してレンタカーを1台貸与してくれた。贅沢ですね。教官はアメリカ人で、訓練のある日は、サンフランシスコから、カリフォルニアの州都サクラメント空港に出掛けてILSアプローチ、VORアプローチそしてタッチ&ゴーなどの訓練を実施する。実地試験は日本から航空局の試験官が来るのだが、試験前には会社の試験官が接待で食事に行ったりと、現在とは違って,大らかで贅沢な訓練だった。現在は国土交通省航空局の試験官、審査官には一切、接待は無い。 そしてユナイテッド航空が記念に下記の修了書くれた。

このB737-200は、全長30.5m全幅28.35mとボーイング社の旅客機では一番小さく、中、短距離路線向けの機体だった。当時、傑作と言われていたエンジン、プラット&ホイットニーJT8Dを2機をパイロン(エンジンを吊り下げる部品)を介さず直接主翼に取り付けている。 B737の実機を始めて操縦した時、YS11との違いの大きさに驚いた。滑走路に入って離陸パワーにセットしてからの加速感、Vr(引き起こし開始速度)で一気に18度まで機首を引き上げると、豪快に上昇を続ける。YS11では30分以上かかった15,000フィートなら、ほんの5分程で到達、上昇力はまだまだ衰えない。よくできた油圧システムで、コントロールは軽くて正確だ。オートスラストは装備されていなかったので、パワーコントロールはすべてマニュアルで行う。巡航高度に到達すると、性能表を見てEPR(エンジン・プレッシャー・レシオ)で巡航パワーにセット、先ほどまでゴーゴーと唸っていたエンジン音が急に静かになる。今のように、INS(慣性航法システム)やGPS(衛星による測位システム)は無く、航空路を飛ぶのはVOR,ADFの電波航空灯台のみ、油断するとすぐにずれてレーダーをモニターしていた管制官から注意される事もあった。目的地が近ずくと、降下開始ポイントを自分で決め、一気にエンジンをアイドルに絞って急降下、アプローチのためのピッチとパワーは、オートパイロットは使わないので、大体の数値は覚えておかないとならない。 計器類はすべてアナログだが、素敵なコックピットだった。

 B737は東京、大阪から日本中のローカル空港を結んでいた。横風の強い海辺の空港、気流の悪い山岳地の空港、ILS,VOR,GCA アプローチ、天気の良い日のVISUAL APP(目視進入)などエアラインパイロットとしてかけがえのない経験をして腕を磨くことが出来た。乗務していた5年間、大きな故障は一度も無かった。宮崎空港からの帰り便で、離陸後の急上昇で乗客のお土産のパイナップルが通路を前から後ろまで転がってきたと、スチュワーデスがよく言っていた。 私のイメージの中のB737の写真である。  スマートなB727に比べると、ずんぐりしていて地味な機体だが、小回りが利いて、故障もせず、よく働く信頼できる相棒だった。

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