第二次世界大戦の末期に、戦闘機はプロペラ機からジェット機へと進化していった。世界で初めて戦場に現れたジェット戦闘機はシュバルべ「つばめ」と名付けられたドイツのメッサーシュミットMe262である。ドイツへ爆撃に向かうボーイングB17爆撃機を護衛するP-51Dムスタングの最高速度が700km/hに対してMe262は水平飛行で870km/hの速度で飛行し、連合国の戦闘機は全く歯が立たなかった。Me262は翼の下に2基のエンジンを搭載していた。フランス人のエースパイロットは、700km/hを超える速度で飛行する英国の最高速機ホーカー・テンペストで、片方のエンジンが故障したMe262を追いかけたが全くついていけなかったと話している。
戦争映画で、爆撃機のパイロットがMe262を見たときに「あいつプロペラを忘れてきやがったぜ」と恐怖に顔を引きつらせながらジョークを言うシーンがあった。
このように連合国の高性能レシプロ戦闘機(ピストンエンジンを動力とする)では全く歯が立たなかったメッサーシュミットMe262であったが、深刻な問題を抱えていた。それはBMWが製造するエンジンにあった。開発初期のジェットエンジンは多量の燃料が流れると燃焼室が破損したり、飛行中に荒い操作をすると燃料が途絶えてフレームアウト(燃料が燃えずにエンジンが停止してしまう)が多発して20時間から30時間しか持たなかったために期待された戦果を挙げることは出来なかった。
第二次世界大戦終了後、米空軍の正式ジェット戦闘機ロッキードP-80との性能比較テストでは、Me262が速度と加速性能で勝り、上昇性能はほぼ同等との結果が出ている。
このMe262の製造技術は、米国ではF-86に、ソ連ではMIG-15へと発展し朝鮮戦争ではジェット機同士の空中戦が繰り広げられる事となった。