西行の詠んだ朝妻船とは

歴史こぼれ話

     おぼつかな 伊吹おろしの風先に 朝妻船は会いやしぬらむ    西行

「伊吹山から吹き下ろす強風に朝妻船は出会って翻ろうされているのだろうか」 平安時代末期の歌人 西行が詠んだ和歌である。

 

琵琶湖の東岸を北から南へ、長浜港を過ぎて湖岸道路沿いに10kmほど南に進むと朝妻(あさずま)湊跡に出る。地名が何となくなまめかしくて以前より気になっていたので尋ねてみた。

 Wikipediaによると「朝妻は『和名抄』に『安佐都末』とある。朝妻川の入り江に位置する。船舶がしきりに出入りしたが、慶長(1596~1615)ころから航路の便利から米原に繁栄をうばわれ、おとろえた。寿永の乱(1180~1185)の平家の都落ちにより女房たちが浮かれ女として身をやつしたものが、朝妻にもその名をとどめ、客をもとめて入江に船をながした。                            烏帽子、水干をつけた白拍子ふうの遊女が鼓を前に置き、船に乗っている姿を描いた絵がのこされている」

朝妻船と浮かれ女

現在の朝妻湊跡は、訪れる人もなく静まり返っていた。生い茂った樹木覆われた岸辺は平安の昔と何も変わっていないように思われる。

現在の朝妻湊
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