秀吉の愛した側室 松の丸

歴史こぼれ話

 琵琶湖の北西、国道161号線が海津の集落を過ぎてマキノと大浦へ分岐する交差点「海津」の少し手前の山側に、水上勉氏の長編小説「湖笛」の舞台となった宝憧院がある。織田信長殺しの明智光秀の謀反に加わったとして、若狭武田の流れをくむ守護大名だった武田元明は、豊臣秀吉に切腹を命じられこの寺で生涯を終える。

宝憧院山門

 「それはまさに言いがかりであった。じつは秀吉は、元明を海津に呼び出した留守に、美しく気品のある元明の妻竜子を,若狭の幽居から略奪する目的だった。竜子は京極高吉の娘であり『湖笛』の主人公京極高次の妹にあたる。秀吉は、龍子を京に連れ帰り自分の妾にしてしまう。龍子はのちの松の丸殿である」

この時代主人が戦で敗れたり、殺された場合残された妻は自害する事が多くあった。信長の妹市は秀吉の妾になる事を嫌い、柴田勝家とともに越前北の庄で自害、また明智光秀の娘細川ガラシャは、夫の細川忠興が出陣中に石田三成に屋敷を囲まれ人質にされそうになり自害(キリスト教徒で合ったため自害はできず家老により介錯)している。しかし元明の妻竜子は捕えられた後、無類の女好き秀吉の側室となってしまう。

美貌の誉れ高い京極竜子

 

 竜子の夫、武田元明は若狭の守護大名だったが武将としての才能は今一つ、その力は衰退して行った。竜子の元明への愛情がそれほどでもなかったのか、二男一女の子供を助けるためだったのか、秀吉をそれほど嫌っていなかったのか、今となっては推測する他は無い。しかし竜子はその後、秀吉の側室として醍醐の花見では淀君と盃の順を争うほどの寵愛を受け幸せな生活を送る。秀吉の死後は出家して寿芳院として静かな余生を送った。大坂夏の陣で豊臣が滅びた後は、淀君の侍女菊を保護したり六条河原で処刑された秀頼の息子・国松の遺体を引き取り埋葬している。

 悲運の最期をとげた武田元明の墓が宝憧院にある。寺のはずれの荒れ地に半ば捨てられたように建っている。

打ち捨てられたように建つ元明の墓 後ろの山の向こうは若狭の国

 山の彼方、竜子と暮らした若狭の国を懐かしんでいるように見える。

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