幻の湖の怖い話

本の話

 琵琶湖の北西、函館山スキー場の奥にひっそりと佇む湖がある。大正年間に地元の人々が灌漑用水確保のために造った人造湖で本来は淡海湖というそうだが、今では処女湖と呼ばれている。麓の集落から杉林の中の道を登っていくと函館山スキー場西端のリフト支柱に出会う。そこから先は広葉樹の自然林が急な斜面に沿って広がっており秋には素晴らしい紅葉が楽しめたものだが、数年前の台風で大きな土砂崩れがあり景観はすっかり失われてしまった。やがて道は林道に代わり舗装はされているものの、落石や倒木が多く荒れている。普通車でも行けないことは無いが、運転には注意が必要となる。

倒木が道を塞ぐ、荒れた林道

 荒れた林道をしばらく走ると突然右手はるか下に湖面が現れる、処女湖だ。雑木が生い茂った崖に囲まれており、湖岸に歩けるような浜は無い。湖の西には小さな島が浮かんでいる。スズメバチや危険な動物に注意の標識がある。湖の東側には降りられる所もあるようだが、水辺まで降りようという気にはなれない。

処女湖の西側に浮かぶ島

 私はこの湖に来ると思い出す物語がある。柴田錬三郎の「黒い島」という短編で,1975年月刊PLAYBOY第5号に掲載されたものである。

 『岡山県の海沿いの町に2軒の資産家があった。戦後すぐそれぞれの家に亨と澄夫という男の子が生まれた。仲よく遊んでいたが、二人の間には能力に決定的な違いがあった。小学校に上がる頃には亨は100m泳げたが澄夫は膝まで水につかるのが精いっぱいであった。勉強でもスポーツでも澄夫が亨に勝るものは何もなかった。ある日、二人で古寺の境内に甘柿を取りに行ったとき、亨が悲鳴を上げて木を滑り降りてきた。「青大将がいやがった」亨は蛇が大の苦手であった。亨を助けて蛇を取り除いた澄夫は、初めて亨に対して優越感を持った。

 やがて二人は東京に出ると、亨は国立T大の医学部へ澄夫は私立N大の医学部へ進学して医者になった。亨は卒業後もT大病院の研究室に残り精神病理学で目覚ましい成果を上げていった。一方澄夫は東北の地方都市で産婦人科医院を開業し平穏な日々を過ごしていた。

T大医学部

 数年たったある夏の日、亨は澄夫の住む地方都市を訪ねた。二人はアユ釣りに出掛けることにした。湖には雑木で覆われた小さな島がぽつんと浮いていた。「あそこまでどれくらいあるかな、1000mはあるね」「僕は泳げないからわからない、それにこの湖の水は重いそうだから往復は無理だとおもうよ」そう話しているうちに亨はパンツ一つになって「20年前を思い出すね、僕が泳いで帰って来るのを君はいつも浜辺で待っていた」そういいながら眼鏡をはずして澄夫にあずけた。亨は強度の近眼であった。

 「気を付けて」その言葉に送られて、亨は泳ぎ始めた。水は冷たかった。「水が重いな、水銀をたっぷり含んでいやがる」500mも進むと、水の重たさと冷たさが亨の体力を奪っていった。引き返そうと思ったが亨のプライドが許さなかった。気力だけで泳ぎ切った。島には砂地は無かった。灌木と岩とがじかに、水と接していた。岩に取り付いた亨は、なにかうす気味わるいぬるりとした物にふれたので、あわててはなれると、灌木へはい上がった。とたんに、灌木が、一斉にうごめいた。ぎょっとなった亨は、身をかがめて、双眸(ひとみ)を近づけた。次の瞬間、亨の総身は、粟立ち、悲鳴とともに、意識が薄れた。

 澄夫が一人で車をとばして、町へ帰ってきたのは昼過ぎであった。電話で、医院に呼ばれた鮎釣りの名人である初老の男は、澄夫から友人が島へ泳ぎ着いたきり戻ってこないと聞かされると、なんともいえない表情になった。「先生は、あの島が、どういう島か、ご存じなかったんですのう」「どういう島って?」「蛇島ですがのう。何千尾もいますよ。戦後の農薬のせいで、ぜんぶ、あの島へ、逃げて、集まっているんですよ。お気の毒に、お友達は、いま頃、蛇にまみれて・・・」』

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