私の自動車遍歴 フェアレディ1600

自動車の話

 私の旧車遍歴、始まりはフェアレディ1600SPだった。子供の頃に夕暮れの街角で見かけたシルバーのボディに黒いハードトップ、スモールライトを点灯させながらたたずんでいた小さなスポーツカーが 心地よいエキゾーストノートを残して走り去っていった。なんて格好がいいんだ、そのシーンは少年の心のスクリーンに焼き付いた。

 時は流れ1985年(昭和60年)自動車雑誌にダットサン・フェアレディ1600SPが売りに出されているのを発見、売主は岡山県倉敷の方で価格は90万円くらいだったと記憶している。最近の旧車ブームで価格が高騰している事を思うと夢のような時代だった。マツダのロードスターが発売されるのが1989年であるから、オープンのスポーツカーを路上で見かけることなど殆んど無かった時代だ。家内と新幹線に乗って引き取りに行った。白い塗装は少し艶を失っていたがエンジンは絶好調、帰りはオープンカーで初めての長距離ドライブ、フェアレディのような古いオープンカーは高速道路では後ろからの風の巻き込みが激しい事を知った。 宣伝写真で横に乗る女性がよくスカーフを巻いている訳が解った。その後、家内はフェアレディに乗ると、髪が乱れる、日焼けする、目立って恥ずかしい、エアコンが無いので疲れるなどの理由で乗らなくなってしまった。。フェアレディがZにモデルチェンジしたときにクローズドボディのクーペスタイルになったのは必然的な進化だと思った。男が思うほど女性はオープンカーを好まないようだ。 下の写真は、購入した時の物だが、この車にアルミホイールは似合わない。

購入当時の状態

このフェアレディ1600SPは1966年製でウインドシールドの低い初期型である、その後2000㏄になって安全性の面からウインドシールドが高くなり、ヘッドレストがつけられたりと進化していくのだが、全体のバランスや優雅さを失っていったように思う。全長3910㎜全幅1495㎜重量910㎏と今の車と比較すると、随分と小さく軽く造られている。エンジンは、初代シルビアに搭載されたものと同じR型でOHV1600ccツインキャブ6000rpmで90馬力と、現代の車とは比較出来ない程、古臭いものだ。しかしこの当時の日産のOHVエンジンは、アクセルレスポンスや回転の上昇が鋭く本当に運転するのが楽しい車だった。兄が乗っていたレースでも活躍したA12型エンジンを積んだサニー1200も似たようなフィーリングで、これらのOHVエンジンはメインで乗っていたケンメリのL20型OHCに比べて遥かに好ましいものだった。OHVからOHCそしてDOHC(ツインカムと言う呼び方はあまり好きではありません)とエンジンのバルブコントロールは進歩してきたが、趣味性の面からみればテイストと言う点で面白味を失っていったように思える。

OHV1600ccのエンジン

 このフェアレディを自分のイメージする車にするための作業を開始した。エンジンの調子は良いのでボディのみレストア作業だ。この頃昔からの友人O君が京都の五条通りの西で中古車センターを開業、その店の出入りの塗装業者Aさんを紹介してくれた。Aさんの塗装工場は五条通りの少し北側の空き地にあるトタン板で囲まれた掘立小屋で、雨漏りがしたり隙間風が吹き込む粗末な作りだったが完成時のフェアレディの姿を夢見ながらAさんに教えてもらって半年間作業に通たものだ。

 まず部品をすべて外し全体の塗装を剥離する。作業を始めると、白色の下からのグリーン、レッドと何度も全塗装されているのが解った。塗装の剥離剤を塗って塗料が浮き出てくるのを待ってヘラで削り落とし、水で洗い流し乾燥させるという作業を繰り返す。純正の鉄ホイール、ハードトップも引き取りに行った。休みの日の作業で半年近くかかった。最後にAさんに純正に近い青みがかったシルバーに塗装してもらってレストア作業は完成した。

完成したフェアレディ1600

素敵なコックピット

このようにしてフェアレディ1600SPは現役の頃の姿に復帰した。日産が絶頂期だったころのスポーツカー、凛としたたたずまいが素敵だ。幌も新調して、春と秋にはオープンでのドライブを満喫、その他のシーズンはハードトップをつけていたが、夏の暑さには勝てず真夏はほとんど乗らなかった。私は暑さに弱いので、旧車でもクーラーは必需品だ。

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