古い時刻表(士幌線)

鉄道の話

 最近は新幹線や飛行機、そして自動車で高速道路を利用しての移動がメインとなり、時刻表をみて在来線を利用して旅することはほとんどなくなった。このような状況の今、古い時刻表を見ていると、いろいろと妄想が広がって興味の尽きることがない。一例に挙げたのは昭和31年11月発行の時刻表60数年前のものだ。最初の方に出てくる鉄道路線図、北海道を見てみると網の目のように路線が広がっている。国鉄の全盛期で、日本中どこへ行くにも鉄道に頼らざるを得なかった為このように鉄道網が発達していたのだ。そして現在の北海道の路線網は下の図のようになっている。北海道新幹線が札幌まで開通すれば、かつて蒸気機関車C62の重連が引く急行ニセコが走った函館本線の小樽ー長万部間も廃止となる。

1956年の北海道の鉄道路線図

 その昔、道央の大都市帯広から、北と南に路線が伸びていた。北に向かって十勝三股(とかちみつまた)まで78.3㎞伸びていたのが士幌線(しほろせん)だ。糠平湖(ぬかびらこ)のダム工事と木材の輸送を担っていたのだが、ダムの完成と国内林業の衰退に伴って1987年に廃線となった。士幌線は音更(おとふけ)川沿いにいくつものコンクリート製のアーチ橋が架かっていたが、その中で有名なのがタウシュベツ橋梁である。ダムが完成すると糠平湖の水位が変化して、完全に水没するので完成前に線路は移設されたが、橋はそのまま残った。季節によって姿を現したり、完全に水没したりと人々の興味を引き付けてやまない。私は数年前に見に行ったことがあるが、足場が悪く危険なのと、クマがでるというのことでガイド無しには近づけなかった。水没したり風雪に晒されて劣化が激しく、近い将来に崩壊するといわれている。

タウシュベツ橋梁と大雪山国立公園の山並み

 さて当時の時刻表で士幌線を見てみると、終点の十勝三股へは毎日4往復の列車が走っていた。一番上に記載されているのが列車番号で、721とか数字だけのものは機関車けん引の列車だ。Mと書かれているのは電車、Ⅾと書かれているのは気動車(ディーゼル)だ。

1961年の時刻表

 そこで気になるのが、士幌線で活躍していた機関車は何だったのかと言う所だ。もちろん蒸気機関車で客車の他に、木材を運んだり、ダムの建設資材を運ぶため力の強い貨物用機関車で,80km弱の比較的長い距離を走るので炭水車のある機関車となると、これしかない。大正生まれの9600型蒸気機関車である。

十勝三股駅の9600型蒸気機関車

 9600型機関車は古く、大正時代に製造された蒸気機関車だが、力が強く、運転がし易いと機関士に愛されたと聞く。幹線用の大型蒸気機関車は電化が進むと働き場所が無くなり早く消えていったが、9600型は同じ時代に製造された客車用の機関車8620型とともに蒸気機関車の終焉まで活躍した。

 帯広を17時31分に出発した717列車は19時51分に十勝三股に到着する。北国の日没は早い、到着時には辺りは夏でも夜の闇に包まれている。機関車は翌朝の5時43分発の712列車までの時間を機関車駐泊所で機関士達と共に過ごす。

 鉄道趣味の河田耕一氏が、かつて鉄道雑誌シーナリィ・ガイド書かれていた文章が素敵だったので挙げておく。

「谷間の日没は早い。山の上にはまだ黄色く日が当たっているのに、谷底はもう紫色のもやにつつまれてしまう。製材所はハタと音を静め、山仕事の人は家々に帰ってくる。その家からは炊煙がゆっくりと立ち昇ってゆく。ひとしきり入れ替えをやっていたロコも鳴りをひそめて庫に入った。電燈を消した客車の窓ガラスはまだ暮れ残っている空をにぶく反射している。こうして灯りのついた家々と機関車は、恐ろしいまでに黒々とした山の中にとり残されて翌朝までじっとしているのである」

列車の来なくなった駅

   現在、十勝三股駅の周りは原野に還りポツンと一軒建物が建っているだけである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました