じゃじゃ馬コンベア880

飛行機のはなし

 日本航空が国内線初のジェット旅客機として導入したのが、コンベア880です。コンベア社は、軍用機部門では三角翼のスペシャリストで戦闘機のF102,F106 爆撃機ではB58など優れた機体を送り出していた名門です。日本航空では1961年9月から1971年4月まで、日本国内航空からのリース1機を含む9機が国際線及び国内線で活躍しました。ボーイング707やダグラスDC8と同じ第一世代のジェット旅客機ですが、デビューが少し遅れたため航空会社へはスピードを最大のセールスポイントにアピールしていました。計画巡航速度970km/h (秒速880フィート)であることが名前の由来であると言う説もあります。所で、この飛行機なかなかの じゃじゃ馬だったと語り継がれています。

 以下の文章は、日本操縦士協会の季刊誌「PILOT」の2012年APR版に、元JAL機長の神谷 國夫氏が、コンベア880に関して寄稿されたものです。                                             ●コンベア880の機長                                                   「1961年の夏、待望のジェット機コンベア880型が国内線に導入された。私にもこの飛行機への移行が実現した。座学は教科書、マニュアルすべて英語である。孤立にならない事だ。耳学問を大いに活動、解らないままにすれば、必ずしっぺ返しを食らう。学科試験に合格して、9月の末から実機訓練に入る。 身近でコンベア880に接した時、なんて格好のいい飛行機だと思った。設計者は音速の88%巡行をえがいての旅客機だったろう。35度の後退翼、ピュア―ジェットエンジン、7度の上反角、わくわくしながら操縦にのぞんだ。鈍重なDC-4とは比べ物にならない、離陸の力強さ、急速な上昇、鋭敏な操舵感覚 どれをとっても最高だと感じた。だがどっこい、そうは問屋が卸さない。先輩が続々と、機長の資格を手に出来ないまま、訓練から戻ってきた。どうして?なぜだ?私の科目が進んで失速からの回復、ダッチロールからの回復を行ったときに、先輩の訓練中断の理由がわかった。この飛行機の欠点は過度の ダッチロールとエンジンのタイムラグだ。導入した初期のコンベアにはヨーダンパーが着いていなかった。それに35度の後退翼と上反角は強烈な傾きの復元力となって、補助翼の操作を殺してしまう。話には聞いていたが、ダッチロールの飛行機の動きは過去の飛行経験になかった。               (中略)                                                        この飛行機は離陸滑走中に無意識に補助翼を動かしていると、車輪が地面を離れた時から、もうダッチロールが始まる特性があった」●    

 日本航空に在籍したコンベア880は9機の内3機が訓練中に墜落炎上して全損、1機はオーバーラン事故を起こし小破と、ありえない確率で事故に遭遇しています。

1、1965年2月27日、長崎県壱岐空港においてJA8023[KAEDE]が訓練中に墜落炎上、脱出の際に乗員6名中2名が重症。前日の2月26日には、羽田発札幌行きのJAL507便JA8027[SUMIRE]が、千歳空港で前輪が出ず羽田にリターンしています。

2、1966年8月26日、多くの見学客でにぎわう羽田空港で、限定変更試験中のJA8030[銀座]が離陸直後に墜落炎上、乗員4名運輸省の試験官1名の5名全員が死亡。写真では日本国内航空の塗装ですが日本航空がリースしていた機体です。

              

3、1969年4月4日21時4分、香港発台北、大阪経由東京行きJAL702便JA8027[SUMIRE]は周回進入で大阪空港RW14Rに着陸後、滑走路を45mオーバーランし砂地に脚をめり込ませて停止した。機長は「正常に着陸操作をしたのに、ハイドロプレーニング現象を起こし、ズルズル滑った」と言っています。幸いこの事故による負傷者は報告されていません。私も何度か経験していますが、大阪空港の14R周回進入は目前に山がせまり住宅地の丘がせり上がり、なおかつ旋回するときは中国自動車道を超えてはならない等、昼間でもかなり難しく、特に夜間は緊張を強いられたものです。

4、1969年6月28日、アメリカ・ワシントン州モーゼスレークのグラントカウンティ空港で訓練中のJA8028[KIKYO]が離陸直後に墜落、炎上、乗組員5名の内3名が死亡する事故が発生しました。当時の天候は、風が240度から15ノット、ガスト(突風)20ノットと報告されRW32Rからの離陸ではかなり強い横風であった。左席に機長昇格中の訓練生が、右席に教官の機長が着席、離陸に際し機長が風下側の第4エンジン(右側の翼単)の出力を下げ、訓練生は緊急手順を実行した。50フィートほど上昇した頃から右側に30度ほど偏向をし始めた。機体は第4エンジンが地面に接触するまで傾き続け、右にスリップしながら墜落し、数秒後に火災が発生した。機長と航空機関士、訓練生2名が機体から脱出、機長と航空機関士は重傷を負ったが辛うじて一命をとりとめた。2名の訓練生はその後死亡した。残りの訓練生1人の遺体はコックピットの残骸から発見された。

 こうして事故の記録を見ていると、このコンベア880、離着陸時の操縦が本当に難しかったんだろうなと思います。この当時に現在のようなシミュレーターがあれば、安全に、何度でも離着陸の訓練を実施して技量を向上させて、この種の事故を防げたのではないかと思います。でも、コンベア880一度操縦してみたかったものです。

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